1960年代、レース界に革命が起こりました。ミッドシップカーの登場です。ミッドシップカー自体は戦前1930年代からあったようですが、本格的にレースで使われたのは1961年にクーパーが製造した車がインディ500に参戦したのが初めてのようです。F1では1963年のロータスが最初で、それ以降は今日に至るもサーキットを走るレースカーはミッドシップ全盛時代が続いています。
ミッドシップカーは解説するまでもないと思いますが、エンジンをドライバーの後ろ、リアアクスルの前において質量の重いエンジンを中心に持ってくることで車全体のバランスを向上させ、運動性に優れた特質をもっています。ですからコーナリングスピードがそれまでの車に比べ格段に速くなったと言われています。
市販車で最初のミッドシップカーは1964年に登場したランボルギーニ・ミウラでしょうか。このころフェラーリはまだFRの365の時代でした。ランボルギーニはフェラーリに対する挑戦者として登場したので、常に時代の先端を行く技術はフェラーリよりも先駆けて投入してきています。DOHCエンジンやリアサスペンションの独立懸架なども同様でした。
ランボルギーニのミウラ、そしてかの有名なカウンタックを受けてフェラーリが投入したミッドシップカーは365GT4/BB、のちにエンジンが拡大されるなど改良をうけて512BBになった車です。Dino206もミッドシップですが、デビュー当時はフェラーリブランドではなく、Dinoブランドだったので別にします。
512BBはその後、テスタロッサ、512TR、F512Mと発展しますが、フェラーリの12気筒ミッドシップカーはここで終わり、550マラネロからはフロントエンジンになります。
V6のミッドシップカー Dino206は246となり、4シーターV8のDino308GT4となります。このベルトーネデザインの4シーターは人気がいまいちで、同じエンジンを使ったピニンファリーナデザインの308が後からでて大ヒットし、これが328につながります。このころはV8エンジンのフェラーリはV12に比べて小さいということで、「ピッコロ・フェラーリ」とも呼ばれていました。
12気筒のフェラーリは上記のようにフロントエンジンに回帰しましたが、V8は最新のF430でもミッドシップレイアウトを維持しています。しかし車のボディサイズはテスタロッサ並なので、もはや誰も「ピッコロ・フェラーリ」とは呼びません。
ミッドシップ12気筒のフェラーリですが、ロードカーとしてはいろいろ問題があったことは今になって言われています。私は乗ったことがないのですが、回頭性が良すぎるのか、スピンしやすいと言われています。
今ではフロントエンジンでもロードカーは十分パフォーマンスの優れたものが続々出現していますので、わざわざミッドシップレイアウトを取る必要性がなくなってきたのだと思います。
ミッドシップレイアウトの問題として、エンジンが車の中央にあるため、整備性が良くないとか、ラジエーターをフロントに持ってくると冷却水のパイプが長くなり、水量が多くなり効率が悪いとか、サイドに置くと車の幅が広くなるなどがあると思います。トヨタはMRSなど4気筒のミッドシップカーを上手に作っていますが、排気量が小さいとまだ問題は小さいのかもしれませんね。でもどうしても居住性は圧迫されるので、2シーターならいいけど、4シーターは無理があるのだと思います。モンディアルのデザインが無理をしているのはまさに4シーターミッドシップだからだと思います。
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